好きなものが出来たわたしは無敵だった

    高校時代、ハンドボール部の練習場所は屋外にあった。グラウンドよりも少し高い位置にあったから、空に近い分太陽がじりじりと暑くて、夏はいつも損をしている気分だった。そのハンドコートから部室棟の脇道を行ったところ、体育館の手前に、古いプレハブ小屋がある。

    spacenapというバンドがいた。

    いわゆる4ピースガールズバンドの彼女たちは、最低限の機材とぼろの扇風機しかないようなその場所で、いつも音を鳴らしていた。わたしは彼女たちがコピーするBUMP OF CHICKENチャットモンチーやねごとが好きだったし、何より彼女たちの作る音楽が本当に好きだった。少女と大人の狭間で歌を届ける彼女たちが眩しくて仕方がなくて、そうやって眺めているうちに、わたしたちは何となく仲良くなっていった。それまで同じクラスでも同じ部活でも友達の友達でもなかった彼女たちは、いつしかわたしの友達になった。

    あの頃はずっと音楽を聴いていた。聴いても聴いても聴き足りなかったし、毎日のように彼女たちと交わす音楽の話題も、一瞬だって尽きることはなかった。アジカンの新譜が出ればCDを貸し借りし、米津玄師のメジャーデビューに沸いた。クリープハイプのことがきっと死ぬまで好きだ、と下校時刻間近の真っ暗な更衣室で何度も何度も話をしたし、体育がある日には必ずandymoriの黄色いタオルを持ってくるあの子を、わたしはどこまでも信頼していた。わたしにとって「好きなものが出来る」ということは、「誰かと共有する何かが出来る」ということだった。そういう友達の選び方を初めて覚えた。なんとなくみんなが好きになる流行り物の話をする間柄ではなく、「好きなものが同じ」という人間関係は、当時のわたしのときめきの全てだった。「好きなものがあるゆえに付き合う人を選んでしまってないか?」みたいな内容の記事を最近読んだけれど、その入り口にも足を踏み入れてないような頃の話。好きなものが出来たわたしは無敵だった。

    それから何年か経ってわたしたちが高校を卒業した時、ボーカルギターの彼女は高円寺で一人暮らしを始めた。少し経った頃に、黄色いタオルのあの子はバンドを抜けた。何が正しかったのかなんて今になっても全然わからないからわたしは何も言えなかったけれど、あの時わたしの無敵は本当にあっさりと崩れてしまった。月並みの表現をしてしまえばspacenapはわたしの青春そのもので、でも、あの頃の気持ちが全然抜けてくれないから、わたしの青春だけ今も続いているような感じがする。 

    spacenapは現在活動を休止していて、ボーカルの彼女も高円寺を離れ、3年遅れの大学生になった。何のオチもないただの思い出話なのだけれど、わたしもそろそろ何かになりたいです。

spacenap 1st album『ポートフォリオ』DIGEST - YouTube